なえ。我は我の祈りのために、再び爾を櫓の上で見た。」
 そのとき、二人の後から一人の足音が馳けて来た。それは女の良人の痩せ細った若い大夫であった。彼は蒼《あお》ざめた顔をして慄《ふる》えながら長羅にいった。
「王子よ、女は我の妻である。願くば妻を斬《き》れ。」
 長羅は黙って母屋の踏段に足をかけた。大夫の妻は長羅の腕を握ってひきとめた。
「王子よ、我を伴なえ、我は今宵《こよい》とともに死ぬるであろう。」
 大夫は妻の首を掴《つか》んで引き戻そうとした。
「爾は我を欺《あざむ》いた。爾は狂った。」
「放せ、我は爾の妻ではない。」
「ああ、妻よ、爾は我を欺いた。」
 大夫は妻の髪を掴んで引き伏せようとしたときに、再び新しい一人の足音が、蹌踉《よろ》めきながら三人の方へ馳けて来た。それは酒盞《うくは》を片手に持った長羅の父の君長であった。彼は踏《ふ》み辷《すべ》ると土を片頬に塗りつけて起き上った。
「女よ、我は爾を捜していた。爾の踊りは何者よりも美事であった。来《きた》れ、我は今宵爾に奴国の宮を与えよう。」
 君長は女の腕を握って踏段を昇っていった。大夫は女の後から馳け登ると、再び妻の手を持
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