《ま》けることが負《ま》けることでないなら、QがAに負《ま》けたのではないごとく私《わたし》もまたQに負《ま》けたことにはならぬのだ。私《わたし》の今《いま》まで饒舌《しゃべ》っていたことは誰《たれ》のためでもない私《わたし》のためだったのだ。リカ子《こ》が私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れたのも多分《たぶん》私《わたし》が私《わたし》のためにいったのだと思《おも》ったからでもあったろうが、それにしても彼女《かのじょ》のその行為《こうい》は、私《わたし》が饒舌《しゃべ》っている間《あいだ》、彼女《かのじょ》がQのことを考《かんが》えずに私《わたし》のことを考《かんが》えていてくれた証拠《しょうこ》にだけは十|分《ぶん》になっているのだ。復活《ふっかつ》した愛《あい》――しかし、それは所詮《しょせん》私《わたし》が捻向《ねじむ》けたものではないか。私《わたし》は私《わたし》としてもう一|度《ど》彼女《かのじょ》をQへ捻戻《ねじもど》さねばならぬ。そうおもった私《わたし》は早速《さっそく》リカ子《こ》にお前《まえ》はわれわれ二人《ふたり》で製作《せいさく》したQの美徳《びと
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