ていた。彼《かれ》は自身《じしん》より弱者《じゃくしゃ》に対《たい》してはいくらでも自身《じしん》を犠牲《ぎせい》にすることの出来《でき》る善徳《ぜんとく》を持《も》つ代《かわ》りに、自身《じしん》よりも強者《きょうしゃ》に対《たい》しては死《し》ぬまで身《み》を引《ひ》くことの出来《でき》ない男《おとこ》である。しかもAとQとは、この二人《ふたり》の闘《たたか》いならどこまでいってもAが勝《か》ち続《つづ》けるに定《きま》っているのだ。その度《たび》にリカ子《こ》がQを軽蔑《けいべつ》するなら、――私《わたし》はリカ子《こ》をQに返《かえ》したことは彼《かれ》と彼女《かのじょ》とのためには最大《さいだい》の悪徳《あくとく》でさえあったことに気《き》がついた。私《わたし》は私《わたし》の善行《ぜんこう》だと思《おも》ってしたことが悪行《あくぎょう》に変《かわ》ったとて恐縮《きょうしゅく》する要《よう》のないこと位《くらい》は分《わか》っていても、それにしてもリカ子《こ》が急《きゅう》にこの時《とき》から嫌《きら》いになったと同時《どうじ》に、私《わたし》にはますますQが親《した》わしくなって来《き》たことも事実《じじつ》である。或《あ》る日《ひ》私《わたし》はリカ子《こ》にそれとなく地質学界《ちしつがっかい》の過去《かこ》の大天才《だいてんさい》が次《つ》ぎ次《つ》ぎに現《あら》われる新《あたら》しい天才《てんさい》に負《ま》かされていった歴史《れきし》を話《はな》してやった。まことに過去《かこ》一|世紀《せいき》の間《あいだ》に現《あら》われた新学説《しんがくせつ》の興亡《こうぼう》を私《わたし》が思《おも》い出《だ》しても、個人《こじん》の力《ちから》の限界《げんかい》の小《ちい》ささを感《かん》ぜざるを得《え》ないのだ。一|世《せい》を風靡《ふうび》した凡水論《ネプチュニズム》の主唱者《しゅしょうしゃ》エルナーを顛覆《てんぷく》させた凡火論《ボルカニズム》、その凡火論《ボルカニズム》の主唱者《しゅしょうしゃ》ハットンを顛覆《てんぷく》させた災異説《カタストロフィズム》、その災異説《カタストロフィズム》の主唱者《しゅしょうしゃ》セヂウィックを破《やぶ》った斉一説《ユニフォルミタラニズム》のライエルと、そうしてそれらの総《すべ》てを綜合《そうごう》した進化説《ダー
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