鳥
横光利一
リカ子《こ》はときどき私《わたし》の顔《かお》を盗見《ぬすみみ》するように艶《つや》のある眼《め》を上《あ》げた。私《わたし》は彼女《かのじょ》が何《な》ぜそんな顔《かお》を今日《きょう》に限《かぎ》ってするのか初《はじ》めの間《あいだ》は見当《けんとう》がつかなかったのだが、それが分《わか》った頃《ころ》にはもう私《わたし》は彼女《かのじょ》が私《わたし》を愛《あい》していることを感《かん》じていた。便利《べんり》なことには私《わたし》はリカ子《こ》を彼女《かのじょ》の良人《おっと》から奪《うば》おうという気《き》もなければ彼女《かのじょ》を奪《うば》う必要《ひつよう》もないことだ。何《な》ぜなら私《わたし》はリカ子《こ》を彼女《かのじょ》の良人《おっと》に奪《うば》われたのだからである。この不幸《ふこう》なことが幸《さいわ》いにも今頃《いまごろ》幸福《こうふく》な結果《けっか》になって来《き》たということは、私《わたし》にとっては依然《いぜん》として不幸《ふこう》なことになるのであろうかどうか、それは私《わたし》には分《わか》らない。私《わたし》はリカ子《こ》――私《わたし》の妻《つま》だったリカ子《こ》をQから奪《と》られたのはそれは事実《じじつ》だ。しかし、それは私《わたし》が彼《かれ》にリカ子《こ》を与《あた》えたのだといえばいえる。それほども私《わたし》とリカ子《こ》とQとの間《あいだ》には単純《たんじゅん》な迷《まよ》いを起《おこ》させる條《すじ》がある。それは世間《せけん》にありふれたことだと思《おも》われるとおりの平凡《へいぼん》な行状《ぎょうじょう》だが、ここに私《わたし》にとっては平凡《へいぼん》だと思《おも》えない一|点《てん》がひそんでいるのだ。人《ひと》は二人《ふたり》おればまア無事《ぶじ》だが三|人《にん》おれば無事《ぶじ》ではなくなる心理《しんり》の流《なが》れがそれが無事《ぶじ》にいっているというのは、どこか三|人《にん》の中《なか》で一人《ひとり》が素晴《すば》らしく賢《かしこ》いか誰《たれ》かが馬鹿《ばか》かのどちらかであろうように、三|人《にん》の中《なか》でこの場合《ばあい》私《わたし》が一|番《ばん》図抜《ずぬ》けて馬鹿《ばか》なことは確《たし》かなことだ。Qと私《わたし》とにいたってはことごとに私《わ
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