ウィニズム》のダーウィンを思《おも》えば、私《わたし》は一|個人《こじん》が他個《たこ》に敗北《はいぼく》することはそれは敗北《はいぼく》することではなくして神《かみ》への奉仕《ほうし》に思《おも》えてならないのだ。もしそれが敗北《はいぼく》なら、勝《か》ったものは必《かなら》ず誰《たれ》かに負《ま》けねばならぬ。AとQとの闘《たたか》いもそれは闘《たたか》いではなくして次《つぎ》に現《あら》われる天才《てんさい》への贈物《おくりもの》を製造《せいぞう》しているにすぎないと私《わたし》がいえば、今《いま》まで黙《だま》って私《わたし》の饒舌《しゃべ》っているのを聞《き》いていたリカ子《こ》は急《きゅう》に私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れて来《き》た。彼女《かのじょ》のこの感情《かんじょう》の転向《てんこう》がもしQと彼女《かのじょ》の上《うえ》に、再《ふたた》び幸福《こうふく》をもたらすなら――と私《わたし》が思《おも》っていると、それは意外《いがい》にもリカ子《こ》が私《わたし》へ転向《てんこう》して来《き》たことを示《しめ》していたのだ。なるほど個人《こじん》の負《ま》けることが負《ま》けることでないなら、QがAに負《ま》けたのではないごとく私《わたし》もまたQに負《ま》けたことにはならぬのだ。私《わたし》の今《いま》まで饒舌《しゃべ》っていたことは誰《たれ》のためでもない私《わたし》のためだったのだ。リカ子《こ》が私《わたし》の胸《むね》の上《うえ》へ倒《たお》れたのも多分《たぶん》私《わたし》が私《わたし》のためにいったのだと思《おも》ったからでもあったろうが、それにしても彼女《かのじょ》のその行為《こうい》は、私《わたし》が饒舌《しゃべ》っている間《あいだ》、彼女《かのじょ》がQのことを考《かんが》えずに私《わたし》のことを考《かんが》えていてくれた証拠《しょうこ》にだけは十|分《ぶん》になっているのだ。復活《ふっかつ》した愛《あい》――しかし、それは所詮《しょせん》私《わたし》が捻向《ねじむ》けたものではないか。私《わたし》は私《わたし》としてもう一|度《ど》彼女《かのじょ》をQへ捻戻《ねじもど》さねばならぬ。そうおもった私《わたし》は早速《さっそく》リカ子《こ》にお前《まえ》はわれわれ二人《ふたり》で製作《せいさく》したQの美徳《びと
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