とするならば、われわれの文学に対する共通の問題は、一体、いかなる所にあるのであろうか。それは、文学が絶対に文字を使用しなければならぬと云う、此の犯すべからざる宿命によって、「文字の表現」の一語で良い。これは、いかなるものと雖も認めるであろう。

 しかしながら、その次に何物よりも、われわれの最もより多く共通した問題となるべきことがあるべき筈だ。それは、われわれ人間が世界を見る場合、唯心論的に見るべきか、唯物論的に見るべきかと云う二つの見方にちがいない。此処でわれわれの完全に共通した問題は分裂する。

 われわれは前に、その正邪に拘《かかわ》らず、資本主義を認め、社会主義を認めた。この相対立する二つの社会機構を認めたと云うことは、われわれが歴史を認めたと云うことに他ならない。しかしながら、われわれの今迄の文学に現れた歴史の認め方は、唯心論的な見方であったにすぎなかった。

 もしわれわれが、歴史を認めたならば、資本主義を認めた如く、社会主義をも認めなければならぬ。もしわれわれがそうして社会主義を認めたならば、社会主義をかくも歴史の新しい事実として勢力付けた唯物論をも、認めなければならぬで
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