新感覚派とコンミニズム文学
横光利一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)総《すべ》て
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 コンミニズム文学の主張によれば、文壇の総《すべ》てのものは、マルキストにならねばならぬ、と云うのである。

 彼らの文学的活動は、ブルジョア意識の総ての者を、マルキストたらしめんがための活動と、コンミニストをして、彼らの闘争と呼ばるべき闘争心を、より多く喚起せしめんがための活動とである。

 私は此の文学的活動の善悪に関して云う前に、次の一事実を先《ま》ず指摘する。
 ――いかなるものと雖《いえど》も、わが国の現実は、資本主義であると云う事実を認めねばならぬ。と。

 此の一大事実を認めた以上は、われわれはいかに優れたコンミニストと雖も、資本主義と云う社会を、敵にこそすれ、敵としたるがごとくしかく有力な社会機構だと云うことをも認めるであろう。

 しかしながら、此の資本主義機構は、崩壊しつつあるや否や、と云うことは、最早やわれわれ文学に関心するものの問題ではない。

 われわれの問題は、文学と云うものが、此の資本主義を壊滅さすべき武器となるべき筈《はず》のもので
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