あるか、或いは文学と云うものが、資本主義とマルキシズムとの対立を、一つの現実的事実として眺むべきか、と云う二つの問題である。
更に此の問題は、われわれの問題とするよりも、広く文学としての問題であると見る所に、われわれ共通の新らしい問題が生じて来るべき筈であろう。
われわれの討論は、今や一斉にここに向けられなければならぬ。
コンミニストは次のように云う。「もしも一個の人間が、現下に於て、最も深き認識に達すれば、コンミニストたらざるを得なくなる。」と。
しかしながら、文学に対して、最も深き認識に達したものは、コンミニストたらざるを得なくなるであろうか。
もしも、文学に対して、最も深き認識に達したものが、コンミニストたらざるを得なくなるとすれば、コンミニストの中で、文学に関心しているものは、最も認識貧弱な人物にちがいない。何故なら、文学などと云うものは、コンミニストにとっては、左様に深き認識者の重要物ではないからだ。
もし、彼らにして文学を認めるとすれば、文学に対して最も深き認識者は、コンミニストたらざるを得なくなると云う認識も否定すべきであろう。
かくして、文学に
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