文学はその科学のごとき有力なる特質を紛失する。しかしながら、もしもコンミニストが、文学を認めたとしたならば、文学の有《も》つ此の科学のごとき冷静な特質をも認めねばならぬであろう。

 もしもコンミニストが、此の文学の持つ科学のごとき特質を認めねばならぬとしたならば、彼らにして左様に認めねばならぬ理由のもとに於てさえ、なお且《か》つ文学は生き生きと存在理由を発揮する。

 文学がしかく科学のごとき素質を持ち、かくのごとく生き生きと存在理由を持つ以上、われわれは再び現下に於ける文学について、考えねばならぬ。しかも、それは、文学に於けるいかなる分野が、素質が、属性が、総《あら》ゆる文学の方向から共通に考察されねばならないか。これがわれわれの新しい問題となるべきであろう。

「われわれには、そんな暇はない。」と云うものは云うであろう。しかし、文学はそんなものからさえも、彼らもまたかかる科学的な一個の物体として、文学的素材となり得ると見る。此の恐るべき文学の包括力が、マルクスをさえも一個の単なる素材となすのみならず、宇宙の廻転《かいてん》さえも、及び他の一切の摂理にまで交渉し得る能力を持っている
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