狭い彼の家の敷地を見降して、堂々たる風貌におよそ似もつかぬその小ささに、絶えずこれから見降さねばならぬ私の二階家が肩の聳《そび》えた感じに映り、これは困ったことになったと私は苦笑した。故《ゆえ》もなく自分の好きな人物に永久に怒りを感じさせるということはこの土地を選んだ最初の私の目的に反するのである。
 ともかく高次郎氏は最初の私の家の隣人となって、暮のおし迫ったころ樹木の多い伯爵家の庭の中から明るい茶畑の中の自分の家へ移って来た。高次郎氏が足を延ばせば壁板から足の突き出そうな、薄い小さな平家《ひらや》だった。私は傍を通るたびに、中を注意したがる自分の視線を叱《しか》り反《かえ》して歩くように気をつけたが、間もなく周囲に建ち並んで来るにちがいない大きな家に押しつめられ氏の家の平和も破れる日が来るのではないかと心配になることもあった。
 朝家を出るとき敷島を口に咥《くわ》え、ひらりと自転車に乗るときのゆったりした高次郎氏の姿を私の見たのは一度や二度ではなかった。また細君のみと子夫人が、背中の上の方に閂《かんぬき》のかかった薄鼠色の看守服の良人を門口まで送って出て、
「行ってらっしゃい。行っ
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