てらっしゃい」
と高くつづけさまに云って手を振り、主人の見えなくなるまで電柱の傍に立ちつくしている姿も、これも雨が降っても雪が降っても毎朝変らなかった。私の家内もこの新しい隣家の主婦の愛情の細やかさが暫《しばら》くは乗りうつったこともあったが、とうてい敵ではないとあきらめたらしくすぐ前に戻った。
「どうも、お前を叱るとき大きな声を出したって、ここなら大丈夫と思って来たのに、これじゃ駄目だ」
と私は家内と顔見合せて笑ったこともある。二階建から平屋の向うを圧迫する気がねがこちらにあったのに、実は絶えず下から揺り動かされている結果となって来た滑稽《こっけい》さは、年中欠かさず繰りつづけられるのであった。私の家の女中も加藤家と私の家とをいつも比較していると見えて、
「あたくし結婚するときには、あんな旦那《だんな》様と結婚したいと思いますわ」
とふと家内に洩《もら》したことがあった。八百屋の老主婦ばかりではなく、私の家の女中も朝ペタルを踏んで出て行く高次郎氏には、丁寧にお辞儀をするのを忘れない風だった。そのためもあろうか女中は塀《へい》の外の草ひきだけは毎朝早く忘れずにする癖も出来た。この
前へ
次へ
全20ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング