と、隣家から赤子の回向《えこう》の鉦《かね》の音が聞えて来た。初秋の涼しい夜だ。すると、
「昔|丹波《たんば》の大江山《おおえやま》。」と子供の歌う声がして、急に鉦はそれと調子を合せて早く叩かれた。
「阿呆《あほ》やな。」と直ぐ母親らしい叱る声がした。
彼がこちらで笑い出すと、おりかも何処か暗い処で笑い出した。
九
次の春の休暇に帰って彼が姉の家へ着いた時、幸子は彼の母の膝の上で、一枚の新聞を両手で三度に引き破っている所だった。
「ソラ。」
彼は玩具《おもちゃ》の包みを炬燵《こたつ》の上へ置くと、自分も母や姉のように蒲団《ふとん》の中へ足を入れた。母は包みを解いて中からセルロイドの人形を出した。
「そうれユウちゃん。兄さんがな。」
「兄さんやない叔父さんやはなア。」と姉は幸子を見ていった。
「アそかそか、叔父さんがな、遠い所でこんなにええ物|買《こ》うて来ておくれはった。アーええこと、ソーラ。」
彼の母が人形を差し出すと幸子は祖母の顔と人形とを暫《しばら》く交《かわ》り番《ばん》こに眺めていてから、そろそろと人形の方へ手を出した。
「あの顔。」といっておりかは笑った。そして、自分でまた別の猿の頭をゴムで作った小さい玩具を出して幸子の鼻の前へ持っていった。
「そうれユウちゃん、こんどは猿《えて》さん。」
するとおりかは猿の頭を押したと見えて、猿の口から細長い袋になっている赤い舌が飛び出した。幸子は眼をパチパチさせて反《そ》り返《かえ》ったが、頭が母の胸で止《と》められると眼をつむって横を向いてしまった。皆が笑った。が、彼は疲れていたのでひとり恐《こわ》い顔をして、
「大きゅうなったね。」と一口言った。
「そう、大きゅうなってる? お母さん、ユウが大きゅうなったって。」
と姉は傍にいる母にいってきかせた。
「そりゃ大きゅうなってるわさ。」
「そうかしら、ちっとも大きゅうなったように見えやへんけど、傍にいるでやな。」と姉は嬉しそうにいった。
十
二、三日して前《さき》に日向《ひゅうが》へ行っている彼の父から母に早く来いといって来た。母は孫の傍から離れてゆくのを厭《いや》がったがとうとう行くことになった。
出発の時、汽車の窓から首を出している彼女の前には、久吉とおりかと、おりかの肩から顔を出している幸子とそ
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