、急に無意味な意味を含めながら、黒々と沈黙しているように見えてならなかった。

       十

 この日から、彼は、彼の妻を苦しめているものは事実果してこの漁場の魚か花園の花々か、そのどちらであろうかと迷い出した。何故なら彼女が花園にある限り、彼女の苦しい日々は、恐らく魚の吐き出す煙があるよりも、長く続いて行くにちがいなかったからである。
 その夜の回診のとき、彼の妻は自分の足を眺めながら医師に訊《たず》ねた。
「先生、私の足、こんなに膨《ふく》れて来て、どうしたんでございましょう。」
「いや、それは何んでもありません。御心配なさいますな。何んでもありませんから。」と医師は誤魔化《ごまか》した。
 ――水が足に廻り出したのだ。
 ――もう、駄目だ。と彼は思った。
 医師が去ると、彼は電燈を消して燭台に火を点《つ》けた。
 ――さて、何の話をしたものであろう。
 彼は妻の影が、ヘリオトロオプの花の上で、蝋燭《ろうそく》の光りのままに細かく揺れているのを眺めていた。すると、ふと、彼は初めて妻を見たときの、あの彼女のただ彼のみに赦《ゆる》されてあるかのような健《すこや》かな笑顔を思い出し
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