溂《はつらつ》と上って来た。突如として漁場は、時ならぬ暁のように光り出した。毛の生えた太股は、魚の波の中を右往左往に屈折した。鯛は太股に跨《またが》られたまま薔薇色の女のように観念し、鮪は計画を貯えた砲弾のように、落ちつき払って並んでいた。時々突っ立った太股の林が揺らめくと、射し込んだ夕日が、魚の波頭で斬《き》りつけた刃のように鱗光《りんこう》を閃《ひら》めかした。
彼は魚の中から丘の上を仰いで見た。丘の花壇は、魚の波間に忽然《こつぜん》として浮き上った。薔薇と鮪と芍薬《しゃくやく》と、鯛とマーガレットの段階の上で、今しも日光室の多角な面が、夕日に輝きながら鋭い光鋩《こうぼう》を眼のように放っていた。
「しかし、この魚にとりまかれた肺病院は、この魚の波に攻め続けられている城である。この城の中で、最初に討死《うちじに》するのは、俺の家内だ。」と彼は思った。
事実彼にとって、眼前の魚は、煙で彼の妻の死を早めつつある無数の勇敢な敵であった。と同時に、彼女にとっては、魚は彼女の苦痛な時期をより縮めんとしている情《なさけ》ある医師でもあった。彼には、あの砲弾のような鮪の鈍重な羅列《られつ》が
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