を長らく見ていた。母は銚子を持ったまま何か話している主人の顔を見続けていた。そして時々顎《あご》を動かした。しかし何時《いつ》までたっても子の方を向かなかった。
子は悲しくなった。で、顔を戸袋からひっこめて「お母さん。」と呼んだ。
「はいはい。」
そう母はいった。ほど経《へ》て母が何かいって帰ってくるらしいけはいがしたので子は火鉢《ひばち》の傍へ走り込んだ。
母は眼の縁《ふち》を少し赤くして帰って来ると、
「まだ眠てやないの。」と微笑っていった。子は黙って母の手を引張って叩《たた》いた。
「さアもう寝な。また明日学校が遅れるえ。」
子は口を尖《と》がらせて母の手の指を咬《か》んだ。母は「痛ッ」といって手を引っこめた、そして些《ちょ》っと指頭《ゆびさき》を眺めてから「まアこの子ったら。」といった。子は黙って母を睥《にら》んでいた。そして、「お母さんの阿呆《あほ》。」というと母の手を掴んでもう一度咬もうとした。母は子の背中を押すようにして「此処《ここ》をかたづけたら直ぐ寝るでなお前は前《さき》へ寝てなえ、ほんとにお前は賢いえ。」そういうと子を寝床の方へ連れて行った。
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