の湯を呑んだ。それから、母と自分との蒲団の領分を定《き》めようと思って母の木枕《きまくら》を捜したが見あたらなかった。で、身体を蒲団の片方へよせてまた鉢の湯を一口呑んだ。そして彼は額《ひたい》を枕にあてると母の笑い声が下から聞えて来た。何時《いつ》母は寝に来るのかしらと思ったが母の来るまで楽しみに一口ずつ長らくかかって鉢の湯を減らそうと心に決めた。湯は三口目に一|分《ぶ》ほど減った。しかし四口目の頭は何時までたっても枕の上から上らなかった。

 その夜の一時過ぎに子は眼が醒めた。すると、寝巻を着た母が蒲団の上に坐って彼をしっかりと抱いているのを知った。母の背後にはランプを持った刺繍の先生が黙って立っていた。あたりに煙が籠《こも》っていた。そして、真黒に焼けて輪をはじけさせている提灯を中心に、枕元の畳の焦げた黒い部分が子の寝ていた枕の直ぐ傍で拡《ひろ》がって来ていた。鉢は焼け残った子の着物の上にひっくり返っていた。子は瞑《つぶ》りかけた眼で焦げた畳を眺めていた。そして首を些っと横に振ると、母の拡《ひろ》がっている襟《えり》もとへ顔を擦《す》りつけるようにしてかすれた声で
 「早よう眠よう
前へ 次へ
全18ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング