と衝突するのは馬琴の生涯には珍らしくなかった。これにつき京伝と馬琴との性格の差を現わす一例がある。京伝もまた相当な見識を具えてひと癖もふた癖もあったが、根が町家生れで如才なく、馬琴と違って酸《す》いも甘いも心得た通人だったから人をそらすような事は決して做《し》なかった。『優曇華《うどんげ》物語』の喜多武清《きたぶせい》の挿画が読者受けがしないで人気が引立たなかった跡を豊国《とよくに》に頼んで『桜姫全伝』が評判になると、京伝は自分の作が評判されるのは全く挿絵のお庇《かげ》だと卑下して、絵が主、作が従だと豊国を持上げ、豊国絵、京伝作と巻尾の署名順を顛倒《てんとう》さした。事実、臭草紙は勿論、読本《よみほん》にしても挿絵の巧拙善悪が人気に関するが、独立した絵本と違って挿画は本文に従属するのみならず図柄の意匠配置等は通例作者の指揮に待つを常とするから画家は従位にあって主位に居るべきものではない。豊国の似而非《えせ》高慢が世間の評判を自分の手柄に独占しようとするは無知な画家の増長慢としてありそうな咄だ。が、京伝は画工《えかき》が威張りたいなら威張らして置いて署名の順位の如きは余り問題にしなかった
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