物行状の巨細《こさい》を知るにはかれの生活記録たる日記がある。この日記はイツ頃から附け初めイツ頃で終わってるか知らぬが、今残ってるのは晩年の分である。あの筆豆から推せば若い時から附けていたに違いないが、先年馬琴の家からひと纏めに某氏の手へ渡った自筆文書の中には若い時の日記はない。この分は今、全部早稲田大学図書館に移管されている。震災に亡びた帝大図書館のは、ドコから買い入れたか出所来歴を知らぬがそれより以前に滝沢家から出たものらしい。マダそのほかにも散逸したものがドコかに残ってると思うが、所在を明らかにしない。帝大のは偶然館外に貸出してあった一冊が震火を免かれて今残っている。この一冊と早大図書館所蔵本とが今残ってる馬琴日記の全部である。この早稲田本を早大に移る以前に抄録解説したのが饗庭篁村《あえばこうそん》氏の『馬琴日記抄』であって、天保二年の分を全冊転印されたのが和田万吉氏の『馬琴日記』(原本焼失)である。
 饗庭氏の抄録本もしくは和田氏の校訂本によって馬琴の日記を読んだものは、誰でもその記載の事項が細大洩らさず綿密に認《したた》められたのを驚嘆せずにはいられない。毎日の天候気温、出入
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