山が罵るのは決して穏やかでない。小身であっても武家奉公をし、医を志した馬琴である。下駄屋の入夫《にゅうふ》を嫌って千蔭《ちかげ》に入門して習字の師匠となった馬琴である。その頃はもう黄表紙《きびょうし》時代と変って同じ戯作《げさく》の筆を執っていても自作に漢文の序文を書き漢詩の像讃をした見識であったから、昔を忘れたのは余り褒《ほ》められないが幇間《ほうかん》芸人に伍する作者の仲間入りを屑《いさぎよ》しとしなかったのは万更無理はなかった。馬琴に限らず風来《ふうらい》なぞも戯作に遊んだが作者の仲間附合はしなかったので、多少の見識あるものは当時の作者の仲間入りを欲しなかったのみならず作者からもまた仲間はずれにされたのである。
 だが、馬琴は出身の当初から京伝を敵手と見て競争していたので、群小作者を下目《しため》に見ていても京伝の勝れた作才には一目置いていた。『作者部類』に、あの自尊心の強い馬琴が自ら、「臭草紙《くさぞうし》は馬琴、京伝に及ばず、読本《よみほん》は京伝、馬琴に及ばず」と案外公平な評をしているのは馬琴が一歩譲るところがあったからだろう。それと同様、『蜘蛛の糸巻』に馬琴を出藍の才子と
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