見の天海《てんかい》たる丶大《ちゆだい》や防禦使の大角《だいかく》まで引っ張り出して幕下でも勤まる端役を振り当てた下《した》ごしらえは大掛りだが、肝腎の合戦は音音《おとね》が仁田山晋六《にたやましんろく》の船を燔《や》いたのが一番壮烈で、数千の兵船を焼いたというが児供《こども》の水鉄砲くらいの感じしか与えない。扇谷家第一の猛者|小幡東良《おばたはるよし》が能登守教経《のとのかみのりつね》然たる働きをするほかは、里見勢も上杉勢も根ッから動いていない。定正がアッチへ逃げたりコッチへ逃げたりするのも曹操《そうそう》が周瑜《しゅうゆ》に追われては孔明《こうめい》の智なきを笑うたびに伏兵が起る如き巧妙な作才が無い。軍記物語の作者としての馬琴は到底『三国志』の著者の沓《くつ》の紐《ひも》を解くの力もない。とはいうものの『八犬伝』の舞台をして規模雄大の感あらしめるのはこの両管領との合戦記であるから、最後の幕を飾る場面としてまんざら無用でないかも知れない。
が、『八犬伝』は、前にもいう通り第八輯で最高頂に達し、第九輯巻二十一の百三十一回の八犬具足で終わっている。それより以下は八犬後談で、切り離すべき
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