りは情緒細やかな人情物に長じておる。線の太い歴史物よりは『南柯夢《なんかのゆめ》』や『旬殿実々記《しゅんでんじつじつき》』のような心中物に細かい繊巧な技術を示しておる。『八犬伝』でも浜路《はまじ》や雛衣《ひなきぬ》の口説《くどき》が称讃されてるのは強《あなが》ち文章のためばかりではない。が、戦記となるとまるで成っていない。ヘタな修羅場読《しゅらばよみ》と同様ただ道具立を列《なら》べるのみである。葛西金町《かさいかなまち》を中心としての野戦の如き、彼我の五、六の大将が頻りに一騎打の勇戦をしているが、上杉・長尾・千葉・滸我らを合すればかなりな兵数になる軍勢は一体何をしていたのか、喊《とき》の声さえ挙げていないようだ。その頃はモウかなり戦術が開けて来たのだが、大将株が各自《てんで》に自由行動を取っていて軍隊なぞは有るのか無いのか解らない。これに対抗する里見勢もまた相当の数だろうが、ドダイ安房《あわ》から墨田河原《すみだがわら》近くの戦線までかなりな道程をいつドウいう風に引牽《いんけん》して来たのやらそれからして一行も書いてない。水軍の策戦は『三国志』の赤壁をソックリそのままに踏襲したので、里
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