|管領《かんれい》との大戦争に及ばなかったらやはりただの浮浪物語であって馬琴の小説観からは恐らく有終の美を成さざる憾《うら》みがあろう。そういう道学的小説観は今日ではもはや問題にならないが、為永春水|輩《はい》でさえが貞操や家庭の団欒《だんらん》の教師を保護色とした時代に、馬琴ともあるものがただの浮浪生活を描いたのでは少なくも愛読者たる士君子に対して申訳が立たないから、勲功記を加えて以て完璧たらしめたのであろう。が、『八犬伝』の興趣は穂北《ほきた》の四犬士の邂逅《かいこう》、船虫《ふなむし》の牛裂《うしざき》、五十子《いさらこ》の焼打で最頂に達しているので、八犬具足で終わってるのは馬琴といえどもこれを知らざるはずはない。畢竟するに馬琴が頻りに『水滸』の聖嘆評を難詰|屡々《しばしば》するは『水滸』を借りて自ら弁明するのではあるまいか。
 だが、この両管領との合戦記は、馬琴が失明後の口授作にもせよ、『水滸伝』や『三国志』や『戦国策』を襲踏した痕が余りに歴々として『八犬伝』中最も拙陋《せつろう》を極めている。一体馬琴は史筆|椽大《てんだい》を以て称されているが、やはり大まかな荒っぽい軍記物よ
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