支ない贅疣《ぜいゆう》である。結城《ゆうき》以後影を隠した徳用《とくよう》・堅削《けんさく》を再出して僅かに連絡を保たしめるほかには少しも本文に連鎖の無い独立した武勇談である。第九輯巻二十九の巻初に馬琴が特にこの京都の物語の決して無用にあらざるを強弁するは当時既に無用論があったものと見える。一体、親兵衛は少年というよりは幼年というが可なるほどの最年少者であって、豪傑として描出するには年齢上無理がある。勢い霊玉の奇特《きどく》や伏姫神《ふせひめがみ》の神助がやたらと出るので、親兵衛武勇談はややもすれば伏姫|霊験記《れいげんき》になる。他の犬士の物語と比べて人間味が著しく稀薄であるが、殊に京都の物語は巽風《そんふう》・於菟子《おとこ》の一節を除いては極めて空虚な少年武勇伝である。
 本来『八犬伝』は百七十一回の八犬|具足《ぐそく》を以て終結と見るが当然である。馬琴が聖嘆《せいたん》の七十回本『水滸伝』を難じて、『水滸』の豪傑がもし方臘《ほうろう》を伐って宋朝に功を立てる後談がなかったら、『水滸伝』はただの山賊物語となってしまうと論じた筆法をそのまま適用すると、『八犬伝』も八犬具足で終って両
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