ドロモドロながらも自筆であるが、その次の丁からは馬琴の※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》の宗伯《そうはく》未亡人おミチの筆で続けられてる。この最終の自筆はシドロモドロで読《よ》み辛《づら》いが、手捜《てさぐ》りにしては形も整って七行に書かれている。(視力の完全な時は十一行、このアトを続けたおミチのは十行。)中には『回外剰筆』にある通り、四行五行に、大きく、曲りくねって字間も一定せず、偏《へん》と旁《つくり》が重なり合ったり離れ過ぎたりして一見盲人の書いたのが点頭《うなず》かれるのもある。中にはまた、手捜りで指の上に書いたと見え、指の痕が白く抜けてるのもある。古今詩人文人の藁本の今に残存するものは数多くあるが、これほど文人の悲痛なる芸術的の悩みを味わわせるものはない。
 が、悲惨は作者が自ら筆を持つ事が出来なくなったというだけで、意気も気根も文章も少しも衰えていない。右眼が明《めい》を失ったのは九輯に差掛った頃からであるが、馬琴は著書の楮余《ちょよ》に私事を洩らす事が少なくないに拘わらず、一眼だけを不自由した初期は愚か両眼共に視力を失ってしまってからも眼の事は一言もいわなか
前へ 次へ
全55ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内田 魯庵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング