った。作者の私生活と交渉のなかった単なる読者は最後の『回外剰筆』を読むまでは恐らく馬琴が盲したのを全く知らなかったろう。一体が何事にも執念《しゅうね》く、些細な日常瑣事にすら余りクドクド言い過ぎる難があるが、不思議に失明については思切《おもいきり》が宜《よ》かった。『回外剰筆』の視力を失った過程を述ぶるにあたっても、多少の感慨を洩らしつつも女々しい繰言を繰り返さないで、かえって意気のますます軒昂たる本来《もちまえ》の剛愎が仄《ほの》見えておる。
全く自ら筆を操る事が出来なくなってからの口授作《くじゅさく》にも少しも意気消沈した痕が見えないで相変らずの博引旁証《はくいんぼうしょう》をして気焔を揚げておる。馬琴の衒学癖《げんがくへき》は病《やまい》膏肓《こうこう》に入《い》ったもので、無知なる田夫野人《でんぶやじん》の口からさえ故事来歴を講釈せしむる事が珍らしくないが、自ら群書を渉猟する事が出来なくなってからも相変らず和漢の故事を列《なら》べ立てるのは得意の羅大経《らたいけい》や『瑯※[#「王+邪」、第3水準1−88−2]代酔篇《ろうやたいすいへん》』が口を衝《つ》いて出《い》づるので、
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