に取っては一冊の世界的知識の損失であると、感慨一時に湧いて来たが、周囲の人声や履《げた》の音に忽ち消されて了った。
 工事中の新築の階下へ行って見ると、材木や煉瓦やセメント樽を片寄せて炭火を焚いてる周囲に店員が集って、見舞物の握飯《むすび》や海苔巻を頬張ったり鯣《するめ》を焼いたりしていた。メリヤスの肌着《シャツ》と股引の上に外套を引掛けた焼出された宿直の一人が、富田の店員が三人屋根伝いに逃げて来て助けて呉れと云った顛末を語っていた。其傍に同じ焼出されの宿直が素綿入の寝巻に厚い駱駝の膝掛けを纏付けて、カン/\した炭火に当りながら茶碗酒を引掛けていた。
 煤けた顔をして縄襷を掛けてるのや、チョッキ一つで泥だらけになってるのや、意気地の無いダラシの無い扮装《なり》をして足だけ泥にしているのや、テンヤワンヤの姿をした働き手が裏口から焼け跡へと出たり入ったりしていた。小僮が各自に焼残りの商品を持てるだけ抱えては後から後からと出て来た。
 焼残りの書籍や文房具や洋物雑貨が塵溜のようにゴッタに積重ねられて隅々を塞げていた。其傍に無残に厚硝子を破《こわ》された飾棚が片足折れて横たに倒れそうに傾いてい
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