談柄にのみ限られてる今日、欧米首都の外は地理的名称さえ猶だ碌々知られていない今日、自然主義を誨淫文学と見做し社会主義を売国論と敵視する今日、ロイテル電報よりも三面雑報の重大視される今日、滔々たる各方面の名士さえ学校時代の教科書たる論語とセルフヘルプの外には哲学も倫理もなきように思う今日、此の如く人文程度の低い日本では西欧知識の断片零楮も猶お頗る愛惜しなければならない。眇たる丸善の損害は何程でもなかろうが、其肆頭の書籍は世間の虚栄を増長せしむる錦繍|綾羅《りょうら》と違って、皆有用なる知識の糧、霊魂の糧である。金に換えたら幾何のものでなくても、其存在の効果は無際涯である無尽蔵である。此の焼けて灰となった書籍の一冊を読んで大発明をし、大文章を書き、大建築を作る人があったかも知れない。書籍は少くも五百部千部を印刷するゆえ、一冊や二冊焼けても夫程惜しくないと云う人があるかも知れぬが、日本のような外国書籍の供給が不十分な国では、一冊や二冊でも頗る大切である。且其の焼けた一冊が他日の大発明家、大文学家、乃至大建築家を作るべき機縁を持っていたかも解らない。何千部何万部刷ろうとも失われた一冊は日本文化
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