、此の如き稀覯書を外国から仰いで積んで置く事は出来無いが、猶且容易に手に入れる事の出来ない此種の珍本も数十点あった。之が皆灰となって了った。
 稀覯書というでは無いが、ベンガルの亜細亜協会の雑誌(一八三二年創刊?)の第一号から一九〇五年分までが揃っていた。亜細亜協会は東洋各地に設立されてるが、就中ベンガルは最も古い創立で、他の亜細亜協会の雑誌よりもヨリ多く重要なる論文に富み、東洋殊に印度学の研究の大宝庫として貴重されておる。其価は金一千二百円で、雑誌としては甚だ不廉のようであるが、七十四年間の雑誌を揃えるは頗る至難であって、仮令二千円三千円を出した処で今日直ちは揃え得られるものでは無い。僅か十年かそこらの日本の雑誌ですらも容易に揃えられないのは雑誌を集めた経験ある人には能く解る。況してや七十四年間の外国雑誌は長い間に何度も繰返して重複したものを買集めなければ揃えられないので、恐らく此雑誌も全部揃ったは日本に幾何も無いであろう。之が尽く灰となって了った。
『目録も焼けたろうネ?』
『焼けました。あれが焼けて了ったのが一番残念です、』とKは愈々憮然たる顔をした。
 目録というは売品では無い
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