ぼちゃ)、人参、牛蒡《ごぼう》、瓜、黄瓜など、もとよりあった。蕗《ふき》もあり、みょうが[#「みょうが」に傍点]もあり、唐黍《とうきび》(唐もろこし)もあり、葱もあり、ちしゃ[#「ちしゃ」に傍点]もあり、らっきょ[#「らっきょ」に傍点]もあった。
ことに西瓜は父の誇りであった。あの大きな丸い奴が、あるいは青く、あるいは白く、朝の畑に露を帯びて転がっているのを、私はよく父の尻について検分に廻ったものだ。苗の時から、花落ちの時から、いろいろ苦心して育てた奴が、一日一日に膨大して、とうとうここまで、一貫目以上もあろうというところまで大きくなったのだから、父が上機嫌で破顔微笑するのも無理はない。私としても、虫取りの時から父の助手を勤めているのだから、幾分か成功の光栄を分有する権利があるわけであった。虫取りの時には、粘土を水でネバネバにした奴を茶碗に入れておいて、葉裏や若芽にとまっている黒い小さい虫を見つけては、そのネバネバを附けた箸の先で、ソット苗にさわらないようにして取るのだった。それから花落ちの時には、ツケギで立札をして、その月日を記しておくのだから、およそ何日間であったか、それは忘れたけれども、大体成熟の日取りになって、父が小首を傾けながら爪の先で弾《はじ》いて見る。コンコンカンカンというような響きの出る間は、まだ少し早い。「もうアサッテかシアサッテじゃろう」と言いながら、毎日弾いている中、少しボトボトという音がして来る、サアもうしめたというので、それをちぎる。大抵の場合、私の主張は父の意見に依って一日二日延ばされるのであった。さてそれからが大変で、それを食う日時が容易に決定されない。アシタにせよとか、アサッテにせよとか、毎日食うては悪いとかいう親たちの意見に依ってとかく私らの即時断行説が阻止される。それからいよいよ日時が決定されると、その日の早朝、あるいは前夜、その西瓜を細引でしばって井《いど》につける。午後になって、私らが学校から戻って来ると、その冷えきった西瓜が井《いど》から引上げられて、まず母の庖刀で真二つに切られる。グウ、グウという音がして、庖刀が西瓜の胴体に食いこんで行く時、果してそれの赤いか否か一刻も早く見究《みきわ》めようとして、私らが息を殺して覗《のぞ》きこむ。「オ! 赤いぞな!」と母がまず希望の叫びを揚げる。やがてグウグウ、ザクザクと、その胴体が
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