すむと小楊枝を使いながら正坐する。小楊枝は月に一二本ずつ渡される。正坐というのはチャンと膝をくずさず坐ることで、食後一時間は畏まっておらねばならぬ。板張りの上に莚を一枚敷いてその上に畏まるのだから、ずいぶん足が痛くなる。
 食後一時間たつとみな胡坐をかく、これを安坐という。それから重禁錮の者は仕事にとりかかり、我々軽禁錮の者は本でも読む。しかし本という奴がソウソウ朝から晩まで読みづめにせられるものでもなし、退屈する、欠伸が出る。ヒソヒソ話をする、馬鹿口をたたく、悪戯をする、便所に行く、放屁をする、鼻唄を歌う、逆立ちをする、それはそれは様々なことで日を暮す。もちろん看守の目を忍んでやるので、時々は見つけられて叱られる。もっとも、これは我々軽禁錮および換刑の者のことで、役に就いている者はかえって日が暮しやすい。そこで軽禁錮の者でも、自ら願うて役に就くのが少なくない。永島永洲君からの見舞の端書に、「永き日を結跏の人の坐し足らず」という句があったが、我々凡夫、なかなかそんなわけに行かぬ。そこでいろいろな妄想空想で、僅に、自ら慰めることになる。
「チョイト、チョイト、旦那おあがんなさい。」「品川
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