だまってねるだアよ」といいましたッけが、奥様が「坊はわたしが床《とこ》の側に附《つい》ていて上ればおんなじじゃないか」とおっしゃったのを、僕がまた臆面《おくめん》なく「エエあなたも大変|好《すき》だけれど、おんなじじゃないわ。だっておっかさんは、そんな立派な光る物なんぞ着てる人じゃなかったんだものを」というと、それはそれは急にお顔色が変ったこと、ワットお泣なさったそのお声の悲《かなし》そうでしたこと。僕はあんなに身をふるわしてお泣《なき》なさるような失礼をどうしていったかと思って、今だに不思議でなりませんよ。そしてその夜は、明方《あけがた》まで、勿体《もったい》ないほど大事にかけて看病して下すったんです。しかし僕はあなたが聞いて下さるからッて、好気《いいき》になって、際限もなく話しをしていたら、退屈なさるでしょうから、いい加減にしますが、モ一ツ切り話しましょう。僕はこの時の事が悲しいといえば実に何ともいえないほど悲しいんですが、またどことなく嬉しいような処もあって、判然覚えているんです。丁度しわすのもの淋しい夜の事でしたが、吹《ふき》すさぶその晩の山おろしの唸《うな》るような凄《すご》い音は、今に思出されます。折ふし徳蔵おじは椽先《えんさき》で、霜《しも》に白《しら》んだ樅《もみ》の木の上に、大きな星が二つ三つ光っている寒空をながめて、いつもになく、ひどく心配サうな、いかにも沈んだ顔付《かおつき》をしていましたッけが、いつか僕のいる方を向て、「ナニ、奥《おく》さまがナ、えらい遠方へ旅に行《いら》しッて、いつまでも帰らっしゃらないんだから、逢《あい》に来《こ》いッてよびによこしなすったよ」と気のなさそうにいいました。何か仔細《しさい》の有そうな様子でしたが問返しもせず、徳蔵おじに連《つれ》られるまま、ふたりともだんまりで遠くもない御殿の方へ出掛《でかけ》て行ましたが、通って行く林の中は寂《さびし》くッて、ふたりの足音が気味わるく林響《こだま》に響くばかりでした。やがて薄暗いような大きい御殿へ来て、辺の立派なのに肝《きも》を潰《つぶ》し、語らえばどこまでもひびき渡りそうな天井を見ても、おっかなく、ヒョット殿さまが出ていらしッたらどうしようと、おそるおそる徳蔵おじの手をしっかり握りながら、テカテカする梯子段《はしごだん》を登り、長いお廊下を通って、漸《ようや》く奥様のお寝間《ねま》へ行着《ゆきつき》ましたが、どこからともなく、ホンノリと来る香《こう》は薫《かお》り床《ゆか》しく、わざと細めてある行燈《あんどう》の火影《ほかげ》幽《かす》かに、室《へや》は薄暗がりでしたが、炉《ろ》に焚《た》く火が、僅《わず》か燃残《もえのこ》って、思い掛けぬ時分にパット燃上っては廻りを急に明るくすると思えば、また俄《にわ》かに消失せて、元の薄暗がりになりました。僕は気味悪さに、ただそこここと見廻している斗《ばか》りでしたが、「モット側へおより」と徳蔵おじにいわれて、オジオジしながら二タ足三足、奥さまの御寝《おやすみ》なってるほうへ寄《より》ますと、横になっていらっしゃる奥様のお顔は、トント大理石の彫刻のように青白く、静な事は寝ていらっしゃるかのようでした。僕はその枕元にツクネンとあっけにとられて眺《なが》めていると、やがて恍惚《うっとり》とした眼を開《ひらい》てフト僕の方を御覧になって、初《はじめ》て気が着《つい》て嬉しいという風に、僕をソット引寄て、手枕をさせて横に寐かし、何かいおうとして言い兼《かね》るように、出そうと思う言葉は一々長い歎息《ためいき》になって、心に畳《たた》まってる思いの数々が胸に波を打たせて、僕をジット抱〆《だきしめ》ようとして、モウそれも叶《かな》わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女《しもめ》の苦痛を哀れと見そなわし、小児《こども》を側に、臨終を遂《とげ》させ玉うを謝し奉《たてま》つる。いと浅からぬ御恵《みめぐみ》もて、婢女の罪と苦痛を除き、この期《ご》におよび、慈悲の御使《おんつかい》として、童《わらべ》を遣《つか》わし玉いし事と深く信じて疑わず、いといとかしこみ謝し奉る」と。祈り終って声は一層|幽《かすか》に遠くなり、「坊や坊には色々いい残したいことがあるが、時|迫《せま》って……何もいえない……ぼうはどうぞ、無事に成人して、こののちどこへ行て、どのような生涯を送っても、立派に真の道を守《まもっ》ておくれ。わたしの霊《たましい》はここを離れて、天の喜びに赴《おもむ》いても、坊の行末によっては満足が出来ないかも知れません、よっくここを弁《わきま》えるのだよ……」。仰《おっしゃ》って、いまは、透き通るような
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