で故その東照宮までお參りして來ようと再び石段を登つて行つた。大きくはないが古びながらに美しいお宮は見事な老木の杉木立のうす暗いなかに在つた。社務所があつても雨戸が固く閉ざされてゐた。
 お寺に引返して足を伸して居ると、程なく夕飯が出た。新城から提げて歩いてゐた酒の壜を取出して遠慮しながら冷たいまゝ飮んでゐると、燗《かん》をして來ませうと温めて貰ふ事が出來た。お膳を出されたのは、廊下に疊の敷かれた樣な所であつたが、居ながらにして眼さきから直ぐ下に押し降《くだ》つて行つてゐる峽間《はざま》の嶮しい傾斜の森林を見下すことが出來た。誠によく茂つた森である。そして峽間の斜め向うにはその森にかぶさる樣に露出した岩壁の山が高々と聳えてゐるのである。湧くともなく消ゆるともない薄雲が峽間の森の上に浮いてゐたが、やがて白々と其處を閉ざしてしまつた。そしてツイ窓さきの木立の間をも颯々と流れ始めた。
 まだ酒の終らぬ時であつた。突然、隣室から先刻の年若い僧侶――T――君といふ人で快活な親切な青年であつた――が、
『いま佛法僧が啼いてゐます。』
 と注意してくれた。
 驚いて盃を置き、耳を傾けたが一向に聞えない
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