が、佛法僧だけは到底むつかしい。器用な人ならば或は口眞似は出來るかも知れぬが、文字には到底不能である。それだけ他に比して複雜さを持つてゐるとも謂へるであらう。
 不思議に四月の二十七日か若《も》しくはその翌日の八日かゝら啼き始めるのださうである。殆んど[#「殆んど」は底本では「始んど」]その日を誤らないといふ。南洋からの渡り鳥で、全身緑色、嘴と足とだけが紅く、大きさはおほよそ鴨に似てゐるさうだ。稀には晝間に啼くこともあるさうだが、決して姿を見せない。山に住んで居る者でも誰一人それを見た者はないといふ。
 この鳥も郭公などと同じく、暫くも同じところに留つてゐない。啼き始めると續けさまにその物悲しげな啼聲を續けるのであるが、殆んどその一聯ごとに場所を換へて啼いてゐる。それも一本の木の枝をかへて啼くといふでなく、一町位ゐの間を置いて飛び移りつゝ啼くのである。このことが一層この鳥の聲を迫つたものに聞きなさせる。
 十八日、私は殆んど夜どほし窓の下に坐つて聽いてゐた。うと/\と眠つて眼をさますと、向うの峯で啼くのが聞える。一聲二聲と聞いてゐると次第に眼が冴えて、どうしても寢てゐられないのである。
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