りに話し出した。いかにも好人物らしく、彼が同意するならば一緒に今夜吉田で泊るも面白からうなどとわたしは思うた。が、先を急ぐと云つて、そゝくさと電車に乗つて彼は行つてしまつた。
 ほんの一寸の道づれであつたが、別れてみれば淋しかつた。それにいつか暮れかけては来たし、風も出、雨も降り出した。其儘、吉田で泊らうかと余程考へたが、矢張り予定通り河口湖の岸の船津まで行く事にし、両手で洋傘を持ち、前こゞみになつて、小走りに走りながら薄暗い野原の路を急いだ。
 午後七時、湖岸の中屋ホテルといふに草鞋をぬいだ。

 十月二十九日。
 宿屋の二階から見る湖にはこまかい雨が煙つてゐたが、やや遅い朝食の済む頃にはどうやら晴れた。同宿の郡内屋(土地産の郡内織を売買する男ださうで女中が郡内屋さんと呼んでゐた)と共に俄かに舟を仕立て、河口湖を渡ることにした。
 真上に仰がるべき富士は見えなかつた。たゞ真上に雲の深いだけ湖の岸の紅葉が美しかつた。岸に沿ふた村の柿の紅葉がことに眼立つた。こゝらの村は湖に沿うてゐながら井戸といふものがなく、飲料水には年中苦労してゐるのださうだ。熔岩地帯であるためだといふ。
 渡りあがつ
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