は出來ぬが今日山を下るのなら早う來て飯を食ひなされ、と言つたのに業《ごふ》を煮やし、早速引き上げることに決心して、早速其處を飛び出した。そして、一應山内の重なところだけでも見て來ようと獨りぶらぶらと山みちを歩き出した。まだ朝が早いので一山の本堂とも云ふべき根本《こんぽん》中堂といふ大きな御堂の扉もあいて居らず、行き逢ふ人もなく、心細く細かな徑を歩いて居ると次第に烈しく杉の梢から雫が落ちて來る。種々の期待に裏切らるる事に此頃では私も馴れて來た。あれほど樂しんで來たこの山も、斯んな有樣で早々引き上げねばならぬのかと思ふと實に馬鹿々々しくてならぬのだが、その下からまた直ぐ次の計畫を考へるだけの餘裕も出來てゐた。今日この山を降りて、何處か湖畔の靜かなところを探し、其處で例の仕事を片附けようと思ひついてゐたのである。
 何とも言へぬ深い感じのする山である。その日は四方を霧が罩《こ》めてゐたせゐか、特にその樣に思はれた。木立の梢には折々風が立つらしく、急にばら/\と大きい雫が散亂して、見上ぐれば眞白な雲か霧か颯々と走り續いてゐる。梢ばかりでなく、歩いてゐる身近にも茂つた青い木や草が頻りに搖れ靡いて
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