つて髪をおろした貴人の若い僧形といつたところがある。
 刈萱もまた見るにつれてあたたかみの感ぜらるゝ花である。すがれ始めた野辺のひなたの花である。

 秋のはじめから終りまで、そのときどきに見て見飽かぬのは薄であらう。
   わが越ゆる岡の路辺のすすきの穂まだ若ければ紅ふふみたり
 の頃もよく、十五夜十三夜のお月見に何はなくともこの花ばかりは供へたく、また、秋もいつしか更けて草とりどりに枯れ伏したなかにこの花ばかりがほの白い日かげを宿してそよいでゐるのも侘しいながらに無くてはならぬ眺めである。

 おなじく平凡だが、書き落してならぬものに野菊があり、姫紫苑《ひめじをん》がある。
 自分の好みからか、いつ知らず私は野原の花ばかりを挙げて来た。庭の花に、ダリヤあり、コスモスあり、鶏頭がある。
 ダリヤは夜深く机の上に見るがよく、コスモスは市街のはづれの小春日和を思はせる。鶏頭はまた素朴な花で、隠れ栖《す》む庭の隅などに咲くべきであらう。
   動かじな動けば心散るものを椅子よダリヤよ動かずもあれ
   灯を強みダリヤがつくるあざやけき陰に匂へるわれの飲料《のみもの》
   眼にも頬にも酔あ
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