歩いて行つた。
 下座敷に降りて見ると、中の十疊にはもうすつかり床がとつてある。けれども寢て居るのは父ばかりで、その禿げ上つた頭を微かな豆ランプの光が靜かに照らして居る。音たてぬやうに廊下に出ると前栽《ぜんさい》の草むらに切りに蟲が喞《な》いて居る。冷い板を踏んでやがて臺所の方に出た。平常は明け放してある襖が矢張り冷いからだらう今夜はきちんと閉めてある。それを見ると何となく胸が沈むやうなさゝやかな淋しさを感じた。
 襖を引開くると、中は案外に明るくて、かつと洋燈の輝きが瞳を射る。見ると驚いた、母とお兼とばかりだらうと想つてゐたのに、お米と千代とが來て居て、千代は圍爐裏《ゐろり》近く寄つた母の肩を揉んで居る。
「ヤア!」
 と思はず頓狂な聲を出して微笑むと、皆がうち揃つて微笑んで私を見上ぐる。一しきり何等か談話《はなし》のあつたあとだなと皆の顏を見渡して私は直ぐ覺つた。
 切《しき》りに淋しくなつてゐた所へ以て來て案外なこの兩人の若い女の笑顏を見たので、私は妙に常ならず嬉しかつた。母に隣つてお兼が早速座布團を直して呉れたので、勢よくその上に坐つた。さゝやかながら圍爐裡には、火が赤々と燃え
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