それらの峰の一つ/\に何か知らの力、言葉が動いてゐる樣な感じを受取つたことが屡々ある。
 いま斯う書きながら、囘顧し、空想することに於てもそれと同じいものを感じないではない。

 雲が湧く。深い溪間から、また、おほらかにうち聳えた峰のうしろから。
 その雲に向つても私は私の心の開くのを覺ゆる。煙の樣にあはい雲、掴《つか》み取ることも出來る樣な濃いゝ雲、湧きつ昇りつしてゐるのを見てゐると、私の心はいつかその雲の如くになつて次第に輕く次第に明るくなつて行く。

 眼を擧げるのがいゝ時と、眼を伏せるのゝ好ましい時とがある。更に唯だぢいつと瞑《と》ぢてゐたい時もある。
 伏せてゐたい時、瞑《と》ぢてゐたい時、私は其處にかすかに岩を洗ふ溪川の姿を見、絲の樣なちひさな瀧のひゞくのを聽くのである。
 溪や瀧の最もいゝのも同じく落葉のころである。水は最も痩せ、最も澄んでゐる。そしてそのひゞきの最もさやかに冴ゆる時である。

 捉へどころのない樣な裾野、高原などに漂うてゐる寂しさもまた忘れ難い。
 富士の裾野と普通呼ばれてゐるのは富士の眞南の廣野のことである。土地では大野原と云つてゐる。見渡す限り、いち
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