部としての人間人類を考ふることに私は興味を持つのである。
 たゞ、人間の方でいつの間にかその自然と離れて、やがてはそれを忘るゝ樣になり、たま/\不時の異變などのあつた際に、周章《うろた》へて眼を見張るといふところがありはせぬだらうか。

 火山の煙を見ることを私は好む。
 あれを見てゐると、「現在」といふものから解き放たれた心境を覺ゆる樣である。心の輪郭が取り拂はれて、現在もない、過去もない、未來もない、唯だ無限の一部、無窮の一部として自分が存在してゐる樣な悠久さを覺ゆる。
 常にさうであるとは言はないが、折々さうした感じを火山の煙に對して覺えたことがある。自然と一緒になつて呼吸をしてゐる樣な心安さがそれである。心の、身體の、やり場のない寂しみがそれである。

 高山のいたゞきに立つのもいゝものである。
 一つの最も高い尖端に立つ。前にも山があり、背後にも見えて居る。そして各々の姿を持ち、各々の峰のとがりを持つて聳えてゐる。
 靜まり返つたそれら峰々のとがりに、或る一つの力が動いてゐる樣な感覺を覺ゆることが折々ある。峰から峰に語るのか、それらの峰々がひとしく私に向つてゐるのか、とにかく
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