は津浪が來るさうですから直ぐ彼處に行つてゝ下さい、村の者は皆行つてゐますから。』
と山の方を指ざした。坐りもやらず群衆は其處に群つてゐる。
『難有《ありがた》う!』
海岸に似合はない人氣のいゝ人情の純なこの村の氣風を、改めてこの紅顏の一青年に見出しながら私達は禮を言つて急いで宿に歸つた。
宿でも評定《ひやうぢよう》が開かれてゐた。元來いま歸りがけに見て來たところでは村内全部が雨戸を閉ぢて山の方へ引上げてゐるので、まだ平常のまゝに戸をあけてゐるといふのはこの宿屋一軒きりであつたのだ。それを私は私たちに對する宿の遠慮からだとおもつた。で、いま途中で逢つて來た青年の勸告のことを告げて、一緒にこれから立ち退かうと申し出た。
『それがネ旦那』
宿の婆さん――主人の母で七十近くの――が私の側に寄つて來た。そして安政二年にも地震と共に大津浪がやつて來て、この古宇村全帶を破壞し、洗ひ浚《さら》つて行つたことがある。その時に不思議にも此處一軒だけは地震にも崩れず、津浪にも浚はれず、人々に奇異の思ひをさせたのであつたが、もともとこの家は裏の山續きの岩を切り拓いてその上に建てたものであり、また僅かの
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