事だが家の所在が一寸して崎の鼻の蔭に位置してゐるので津浪からも逃れたのであらうといふことになつてゐた。だから今度も大抵大丈夫であらうとおもふが、それとも旦那たちが氣味が惡ければ逃げませう、まアまア念のために飯をばいまうんと炊いてゐる處だといふのだ。
 しつかり者のこの老婆の言ふことをば何故だが其儘《そのまま》信用したかつた。そして若しもの事のあつた時の用意だけをしておいて山へ逃げるのを暫く見合はすことにした。
 それでも屋内に入つて居れなかつた。縁側に腰かけるか庭に立つか、斷えず搖つて來るのに氣を配りながらも海面からは眼が離せなかつた。
『や、壯快丸ぢやないかナ。』
 私は思はず大きな聲でさう言ひながら庭先へ出て行つた。遙かの沖に、唯だ一個の白點を置いた形で眼に映つた船があつた。其時どうしたものか見渡す沖には一艘の小舟も汽船も影を見せなかつた。其處へ白い浪をあげて走つて來るこの一艘が見え出したのだ。
『ア、ほんとだ、壯快だ/\、オーイ、壯快丸がけえつて來たよう。』
 宿の息子も誰にともない大きな聲をあげた。壯快丸とはこの古宇村の人の持船で、此處から他三四ヶ所の漁村を經て沼津へ毎日通つて
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