ちかい荒寺で、住職もあるにはあるのだが麓の寺とかけ持ちで殆んどこちらに登つて來ることもなく、平常はただ年寄つた寺男が一人居るだけであつた。それだけに靜寂無上、實に好ましい十日ばかりを私は深い木立の中の荒寺で過すことが出來た。
 その寺男の爺といふのがひどく酒ずきで、家倉地面から女房子供まで酒に代へてしまひ、今では木像の朽ちたが如くになつてその古寺に坐つてゐるのであつた。耳も殆んど聾《つんぼ》であつた。が、同じ酒ずきの私にはいい相手であつた。毎日酒の飮める樣になつた老爺の喜びはまた格別であつた。旦那が見えてからお前すつかり氣が若くなつたぢアないか、と峠茶屋の爺やにひやかされるほど、彼はいそいそとなつて來た。峠茶屋の爺やもまたそれが嫌ひでなかつた。
 私の滯在の日が盡きて明日はいよ/\下山しなくてはならぬといふ夜、私は峠茶屋の爺やをも招いてお寺の古びた大きな座敷で最後の盃を交し合つた。また前の文章の續きを此處に引かう。
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寺の爺さんは私の出した幾らでもない金を持つて朝から麓に降りて、實に克明にいろ/\な食物を買つて來た。酒も常より多くとりよせ、その夜は私も大いに醉ふ積
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