ながらその事を言ふと、イヤそれはこれを書いた當人と思ひ合せるとなほ一層この言葉が生きて來るといふことであつた。さう答へながら服部さんは『さうだ、古奈の犬養さんの別莊に或る軸物の箱書が頼んであるんだが、食事が濟んだらそれを受取りかた/″\古奈まで遊びに行つて見ませんか。そして其處の温泉に一つ入つて來ませう、犬養さんは來てゐませんが兎に角もう出來てる筈です、行つて見ませう、八重さんも行きませんか。』
と言ひ出した。
一先づ沼津の町へ出て、其處から自動車で古奈に向つた。里程三四里、程なく二升庵の門前に着いた。小さな岡の根に、高田早苗、鈴木梅四郎兩氏の別莊と相竝んで名前は前から知つてゐたこの二升庵は在るのであつた。まだ附近の開けなかつた昔、米二升さへ持つて來れば誰でも泊めるといふのでこの珍しい庵の名はつけられたものださうだ。
箱書は出來てゐた。蓋には漢文で、由來箱書などは卑俗な茶人共の爲す業である、それを自他ともに新人を以つて許す服部純雄君が求めてくるとは以つての外の話である、大隈侯病篤しと稱へられ余もまた病褥《びやうじよく》にある日、といふ風な事が細字で認められてあつた。
甚だ失禮だ
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