の奧山が連り聳えてゐるのであつた。沼津邊からはたゞその前面だけしか見えぬのだが、その背後に寧ろ前面の頂上よりも高いらしい山嶺が三つ四つごた/\と重つてゐるのであつた。しかも自分等の立つた頂上からも最も手近に聳えた一つの峯は我等の立つてゐる山とは似もつかず削りなした樣な嶮しい岩山であつた。その切り立つた岩山を抱く樣にして、大きく眞白く、手に取る樣な眞近な空にわが富士山は聳え立つてゐるのであつた。しげ/\とそれを仰いで坐つてゐると、我等の登つて來たとは反對の山あひに幾疋か群れてゐるらしい猿の鳴くのが聞えて來た。
 眞裸體の富士山を見ようといふねがひは前の愛鷹山で見ごとに失敗した。然し、何處かでさうした富士を見ることが出來るであらうといふ心はなか/\に消えなかつた。
 そして寧ろ偶然に足柄と箱根との中間にある乙女峠を越えようとしてその願ひを果したのであつた。私はその時箱根の蘆の湖から仙石原を經て御殿場へ出ようとしてこの峠にかゝつたのであつた。乙女峠の富士といふ言葉を聞いてはゐたが實はその時極めてぼんやりとその峠へ登つて行つたのであつた。當時の事を書いた紀行文を左に拔萃《ばつすゐ》する。
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