けこもれり
心憂く部屋にこもれば夏の日のひかりわびしく軒にかぎろふ
なまけをるわが耳底にしみとほり鳴く蝉は見ゆ軒ちかき松に
無理強ひに仕事いそげば門さきの田に鳴く蛙みだれたるかも
蚤《のみ》のゐて脛《はぎ》をさしさす居ぐるしさ日の暮れぬまともの書きをれば
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 殆んど夏の間だけの用として、私はほんの原稿紙を置くに足るだけの廣さの小さなテーブルを作つた。其處此處と持ち歩いて、讀書し、執筆するのである。
 部屋のまんなかに置くこともあれば、廊下の窓にぴつたりと添うて据ゑることもある。庭の木蔭にも持ち出せば、家中で風が一番よく通るので風呂場の中に持ち込むこともある。いまは丁度廊下の窓に置いてある。椅子に凭《よ》りながら、片手を延ばせばむつちりと茂つた楓の枝のさきに屆く。葉蔭に咲き滿ちてゐる可愛らしいその花が、昨日今日ほのかに紅みを帶びて來た。

 私のいま住んでゐる附近には辨慶蟹が非常に多い。赤みがかつた、小さな蟹である。庭の木にも登れば、部屋の中にも上がつて來る。ツイ二三日前、何の氣なしに縁側のスリツパを履かうとするとその爪先に這入り込んでゐて大いに驚いた。今年三歳
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