邊の甲州と信州との間の唯一の運送機關になつてゐる荷馬車の休む立場《たてば》の樣な茶店で、一軒は念場が原の眞中、丁度甲信の國境に當つた所であつた。時雨《しぐれ》は降る、日は暮れる、今夜の泊りと豫定した部落まではまだこの荒野の中を二里も行かねばならぬと聞き、無理に頼んで泊めて貰つたのであつた。一軒は野邊山が原のはづれ、千曲川に臨んだ嶮崖のとつぱなの一軒家で、景色は非常によかつた。
それから妙な※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り合せで裁判所の判檢事、警察署長、小林區署長といふ客の一行から私は二度宿屋を追つ拂はれた、一度は千曲川縁の小さな鑛泉宿で、一度はそれから一日おいて次の日、その千曲の溪の一番の奧にある部落の宿屋で。一夜は一里あまり闇の中を歩いて他に宿を求め、一夜は辛うじて同じ村内に木賃風の宿を探し出し、屋内に設けられた厩《うまや》の二疋の馬を相手に村酒を酌んで冷たい夢を結んだ。別に追つ拂はれる事もないのだが矢張り斯うして長いものに卷かれてゐた方が自分の氣持の上に寧ろ平穩である事を知つて居るからであつた。
信州では、ことに今度行つた佐久地方では鯉は自慢のものである。成程いゝ味
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