涸《か》るゝであらう。
 水の無い自然、想ふだにも耐へ難いことだ。

 水はまつたく自然の間に流るゝ血管である。
 これあつて初めて自然が活きて來る。山に野に魂が動いて來る。
 想へ、水の無い自然の如何ばかり露骨にして荒涼たるものであるかを。
 ともすれば荒つぽくならうとする自然を、水は常に柔かくし美しくして居るのである。立ち竝んだ山から山の峯の一つに立つて、遠く眼にも見えず麓を縫うて流れてゐる溪川の音を聞く時に、初めて眼前に立ち聳えて居る巍々《ぎぎ》たる諸山岳に對して言ふ樣なき親しさを覺ゆることは誰しもが經驗してゐる事であらうとおもふ。
 私の、谷や川のみなかみを尋ねて歩く癖も、一にこの水を愛する心から出てゐるのである。

 今度の旅では千曲川のみなかみを極めて、荒川の上流に出たのであつた。
 その分水嶺をなす樣な位置に在る十文字峠といふのは上下七里の難道であつたが、七里の間すべて神代ながらの老樹の森の中をゆくのである。
 その大きな官有林に前後何年間かにわたつて行はれた盜伐事件が發覺して、長野埼玉兩縣下からの裁判官警察官林務官といふ樣な人たちがその深い山の中に入り込んでゐた。そして
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