枯木の姿のあらはになつてゐる眺めなど、私の最も好むものである。
 路にいつぱいに眞新しい落葉が散り敷いてその匂ひすら日ざしの中に立つてゐる。その間から濃紫《こむらさき》の龍膽《りんだう》の花が一もと二もと咲いてゐるなどもよくこの頃の心持を語つてゐる。
 木枯の過ぎたあと、空は恐ろしいまでに澄み渡つて、溪にはいちめんに落葉が流れてゐる、あれもいい。ホ、もうこの邊にはこれが來たのか、と思ひながら踏む山路の雪、これも尊い心地のせらるゝものである。枯野のなかを行きながら遠く望む高嶺の雪、これも拜みたい氣持である。

 落葉の頃に行き會つて、これはいゝ處だと思はれた處にはまた必ずの樣に若葉の頃に行き度くなる。
 これは一つは樹木を愛する私の性癖からかも知れない。
 事實、世の中に樹木といふものが無くなつたならば、といふのが仰山《ぎやうさん》すぎるならば、若し其處等の山や谷に森とか林とかいふものが無くなつたならば、恐らく私は旅に出るのをやめるであらう。それもいはゆる植林せられたものには味がない、自然に生《は》えたまゝのとりどりの樹の立ち竝んだ姿がありがたい。
 理窟ではない、森が斷ゆれば自づと水が
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