、彼の姿を見てゐては何とも言へぬ一種の壓迫を感じて急《には》かに聲をも出しがたい。自分は終に默つてゐた。やがて彼はまた立ち上つた。少し所を變へて再び竿を動かしてゐる所へ、その背後《うしろ》の方からまた一人竿を持つて人が來た。傳造である。彼等父子は顏を見合つて莞爾《につこり》した。そして無言のまゝ竿を並べて瀬に對《むか》つた。自分は久しいこと巖蔭の冷たいところへ寢てゐなくてはならなかつた。
 その翌年の夏、自分がまた村に歸つた時には初太郎は死んでゐた。或日わざ/\前年彼を見た榎《えのき》の蔭に行つてみた。同じく晴れた日で、風は冴え瀬は光つてゐたけれども、既にその時は如何に力めても、其處の岩上に佇みし彼、曾て自分同樣に此所等に生息してゐた彼、及び現に空冥|界《さかひ》を異《こと》にしてゐる彼を切實に思ひ浮べることは出來なかつた。彼は死んだ、彼は死んだと徒らに思つたのみで。
 不幸は靜かな湖面に石を投げたやうなものであらう、一點から起つて次第に四邊に同じ波紋を擴《ひろ》げて行く。初太郎の死後幾日ならずして彼の父は博奕《ばくち》のことから仲間を傷けて、牢屋に送られたのみならずその入獄の際には彼
前へ 次へ
全17ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若山 牧水 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング