丁度十疋になつたを折に舟をつけて家の方に歸らうとすると一疋の魚を提げて案内人も歸つて來た。三疋を彼に分けてやると禮を言ひながら木の枝にそれをさして、やがて沼べりの路をもと來た方へ歸つて行つた。
洋燈《ランプ》より榾火の焔のあかりの方が強い樣な爐端で、私の持つて來た一升壜の開かれた時、思ひもかけぬ三人の大男が其處に入つて來た。C―家の用でこゝよりも山奧の小屋へ黒檜の板を挽きに入り込んでゐた木挽たちであつた。用が濟んで村へかへるのだが、もう暮れたから此處へ今夜寢させて呉れと云ふのであつた。迷惑がまざ/\と老番人の顏に浮んだ。昨夜の宿屋で私はこの老爺の酒好きな事を聞き、手土産として持つて來たこの一升壜は限りなく彼を喜ばせたのであつた。これは早や思ひがけぬ正月が來たと云つて、彼は顏をくづして笑つたのであつた。そして私がM―老人を呼ばうといふのをも押しとゞめて、たゞ二人だけでこの飮料をたのしまうとしてゐたのであつた。其處へ彼の知合である三人の大男が入り込んで來て同じく爐端へ腰をおろしたのだ。
同じ酒ずきの私には、この老爺の心持がよく解つた。幾日か山の中に寢泊りして出て來た三人が思ひがけぬこの匂ひの煮え立つのを嗅いで胸をときめかせてゐるのもよく解つた。そして此處にものゝ五升もあつたならばなア、と同じく心を騷がせながら咄嗟の思ひつきで私は老爺に言つた。
「お爺さん、このお客さんたちにも一杯御馳走しよう、そして明日お前さんは僕と一緒に湯元まで降りようぢやアないか、其處で一晩泊つて存分に飮んだり喰べたりしませうよ。」
と。
爺さんも笑ひ三人の木挽たちも笑ひころげた。
僅かの酒に、その場の氣持からか、五人ともほと/\に醉つてしまつた。小用にと庭へ出て見ると、風は落ちて、月が氷の樣に沼の眞上に照つてゐた。山の根にはしつとりと濃い雲が降りてゐた。
十月廿八日
朝、出がけに私はM―老人の部屋に挨拶に行つた。此處には四斗樽ほどの大きな圓い金屬製の煖爐が入れてあつた。その側に破れ古びた洋服を着て老人は煙管をとつてゐた。私が今朝の寒さを言ふと、机の上で日記帳を見やりながら、
「室内三度、室外零度でありましたからなア。」
といふ發音の中に私は彼が東北生れの訛を持つことを知つた。そして一つ二つと話すうちに、自身の水産學校出身である事を語つて、
「同じ學校を出ても村田水産翁の樣になる人も
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